#29 「今なお続く原発との戦い」 若松味噌醤油店 若松真哉さん
店の目の前を流れる真野川。あと500mという場所まで津波が押し寄せた
南相馬市にある創業130年の歴史を持つ若松味噌醤油店の若松真哉さんは7年前、東京から地元に戻り、家業を手伝い始めた。3月11日、店から配達に出ようとしていた矢先、震災に遭う。「家が平行四辺形になった」という凄まじい揺れ。津波の情報が入り、余震に揺られながら家族と共に必死に車で逃げた。津波は店の前を流れる真野川を遡り、店まであと500mというところまで押し寄せたが、どうにか難を逃れた。店舗などは揺れによって被害を受けた。100年前に建てた、味噌などを寝かせる「大正蔵」は。外装は崩れたが、内部はそのまま残った。
「ここに住んでいる限りは、ずっと放射能との戦いみたいなもん」
麹を発酵させ、年月をかけて味噌をつくる。昔ながらの製法を守り続けている若松さん。原発事故により、店の商品に対して放射線物質を心配する声を耳にするようになる。定期的に検査を実施し、「一切検出せず」という結果を得てはいるが、できる限りの手を尽くしてしっかりと周知をし、お客の信頼を粘り強く得るしかないと考えている。「ここに住んでいる限りは、ずっと放射能との戦いみたいなもん」。自分自身に言い聞かせるように話す。
「僕はがんばりますよ」。
原発事故の後、復興デパートメントに参加した。色々なところから支援の手が差し伸べられている現状を目の当たりにし、発想の転機になった。まずは歴史ある事業を後世に伝えたい。そして、自分自身が理想の人間像として、「あいつが頑張ってるから俺もちょっと頑張ろうかな」と思う人が、日本のどこかに一人でもいてくれたら、それでいい。
「理想で言えば、明日布団から出たら復興して元の世界になってたというのが本当に理想かもしれません」と若松さん。でも、現実を受け止め、真面目にやる以外に答えは見つからない。
地域密着型で多くの人に愛され、育ててもらった家業。震災で何人もの馴染みのお客さんが命を落とした。避難所で暮らす人、故郷を捨てた人。人それぞれだから否定はしない。ただ、自分はこの地元に残って頑張り続けて少しでも地元に帰りたいなと思っている人たちの背中を押せるようなポジションにいるんだと思う。「僕はがんばりますよ」。
BS12ch TwellV
7月17日(火)、24日(火)、31日(火)18:00~19:00
7月21日(土)、28日(土)、8月4日(土) 27:00~28:00
計6回の放映です。