#29 「今なお続く原発との戦い」 大堀相馬焼協同組合理事長 半谷秀辰さん
警戒区域に指定され、窯元はばらばらに
大堀相馬焼は浪江町に窯を開き、322年の歴史を誇る。二重構造の湯飲み、青ひび、走り駒を描いた瀬戸物という三大特徴がある。値段の高いものはつくらず、各家庭に安く提供できるような価格の焼物をこしらえる、民陶として伝統を受け継いできた。原発事故で町は警戒区域に指定され、窯の被災状況を確認することもできないまま避難。21あった窯元はばらばらになり、再起不能の状態になった。
再起をかけて
各窯元が再起するには、仮設住宅では不可能だ。ガス窯も作れないし、細工もできない。どの窯元も決して裕福といえる状況にはなく、安易に土地を求めることもできない。焼物の基礎となる粘土は名古屋から取り寄せることができたが、地元の石を使って表現していた青ひびは、放射線の影響で使うことができない。なんとか青ひびを出そうと、技術を研究した。
東北みちのくの風土から生まれた焼物
避難生活では当初、大量生産されたカップを使っていた。どこか味がおかしい。一時帰宅の際、大堀相馬焼を持ち帰り、それで焼酎を飲んだ。「それは美味かったよ。全然味が違ったよ」。自分で作った物は自分で一番良いと思っている。だからこそ、感触が全然違う。改めて大堀相馬焼の良さに気付いた。東北みちのくが生んだ風土。その中で生まれた瀬戸物。土に触るとホッとする。「大堀相馬焼は機械で作るわけではなく、手で作る。伝統を守るには、自信を持ってやっていくしかないと思っている」と話す。
「なんでこんな風に遠くにきて作らなければならないんだ」
大堀相馬焼協同組合は今、二本松市の小沢工業団地の一角に仮設の工房を構えている。720平方メートルの平屋には、作業場や事務室、売店などをつくる予定だ。「私の望んでいる事はやはり継続ですよ」。相馬の地を離れて伝統を守る悲しみと悔しさ。他の地方に来て大堀相馬焼を作って、そこで売れるという確証はない。
伝統を守るのは忍耐と努力しかない。守ることの苦しみを今回の震災で痛感した。「もう疲れました本当にはっきり言って」。
ことし5月末、大堀相馬焼協同組合の仮設工房に新しく窯が運ばれてきた。震災後ずっと悩んできた半谷さんもこの日は安堵の表情を浮かべた。大量注文もある。「さあそろそろ始めなくちゃならないという感じだな」とつぶやいた。
BS12ch TwellV
7月17日(火)、24日(火)、31日(火)18:00~19:00
7月21日(土)、28日(土)、8月4日(土) 27:00~28:00
計6回の放映です。