#31「SAVE TAKATA~一歩、一歩、復興のその先へ」 岡本翔馬さん
情報のない中で
震災によって壊滅的なダメージ受けた陸前高田市。市内に事務所を構えているSAVE TAKATAは、陸前高田の復興支援を目的に活動を続けている。
SAVE TAKATAの現地ディレクターである岡本さんは陸前高田出身。元々は東京で転職活動を続けており、内定をもらったまさにその日に震災が起きた。テレビで見た津波の映像に、故郷を思った。「ちょっとこれは本当にまずいかもな」。同じ陸前高田出身で、関東で生活している友人に連絡を取り、故郷の情報を集めようとしたが、電話もインターネットも繋がらない。状況を把握している者は誰もいない中、津波が押し寄せる映像だけが延々と流れていた。
SAVE TAKATAとしての最初の活動
東北自動車道も東北新幹線も止まっていた。原発もいつ爆発するかという状況の中、家族や親しい友人との連絡は依然取れないまま。「実際に行ったほうが正確な情報が早く手に入る」。そう考え、SNSやmixiを通じて集まった15人ほどの陸前高田出身者を代表し、先発隊として現地へ向かった。
途中、どこが停電しているか、どこのスーパーが開いてるか、ガソリンが入手できるのは…。生活に直結する情報を集めては、東京のメンバーにメールをした。その情報を元に、東京のメンバーがホームページを作る。これがSAVE TAKATAとしての最初の活動となった。
そして現地に到着。連絡手段がないためどこに誰が避難しているのかすら分からない状況や、支援物資をさばききれずにいる混乱を目の当たりにした。様々な情報を整理し、被災地と外を交渉する人間が必要だと感じた。
「今やらないと多分後悔する」
内定していた会社を辞退し、勤めていた会社も退職した。陸前高田に住み、支援活動を続けている。津波の危険を後世に伝えるために津波の到達点を桜の木でつなぐ「桜ライン311」や、仮設住宅で安定して高品質の水を提供するための「みずプロジェクト」など、活動内容は多岐に渡る。
中でも、訪問者の方々と被災地をめぐるツアーでは、そこで暮らしてきた人々のことをしっかりと伝えたいという思いがある。廃墟を見て回って終わりではない。「ここは以前はこんなところだったんですよ」と簡単な資料を作ったり、人の生活が感じられるような案内をしたりする。「面積とか数字とかじゃなくてそういう所がやっぱり一番今回の震災のダメージな訳ですし、そこが出来るだけ初めて来た人でも解って頂けるようなツアーにしたいなって思ってやってますね」と語る。
新しい地方都市をどうつくるか
今回の震災で多くの事業者や農家が退職を余儀なくされた。人口もどんどんと減る中、10年後や20年後に、本当に元の姿に戻るのか。今現在の復興だけではなく、未来の陸前高田に対してのアクションが、一つの「支援」になると岡本さんは言う。陸前高田が抱える、今すぐ解決できない、10年かかるような課題。それを解決する道を一緒に探ってくれませんか、そんなスタンスで挑んでいる。もちろんそれは陸前高田だけが持っている課題ではない。だがそれに対する解決法を陸前高田で作り、横展開出来れば、地方都市はどんどん良くなると考えている。
「新しい地方都市をどう作るか」。岡本さんは、そこに故郷の未来と団体活動のゴールを見ている。
BS12ch TwellV
8月21日(火)、28日(火)18:00~19:00
8月26日(日)、9月2日(日)早朝3:00~4:00