宮城県 登米市取材
9月21日台風が各地を襲った日、BS12「未来への教科書」#010 「食」の取材の為、
宮城県・登米市に行って来ました。
登米市は宮城県の北部で岩手県に面しており、南三陸町、気仙沼、石巻など沿岸部の町とも隣接しており、
震災後は沿岸部のパイプラインとして復旧に大きく貢献した町です。
この日は3人の方の取材を行いました。
1人目は伊豆沼農産の伊藤秀雄さん。
日本農業法人協会の副社長でもある伊藤さんは、全国の組員から米を集い、
なんと46トンもの米を仲間と一緒に沿岸部の各町の被災地に届けました。
国からの救援物資は、各避難所に届いていない現状の中、多くの避難者の方に食を提供しました。
伊藤さんはこの震災で、食料を国民に供給する宿命を感じたといいます。
後継者不足でこれから益々農家が減っていく中、経済の後退と共に日本が生き残っていくには輸出に頼らない、
自給自足ができる持続可能な社会でなければならないと、百姓でもある伊藤さんは今後どうなっていくのか、
使命感を持ってそう自分に聞かせてくれました。
2人目は宮城県で30店舗展開する、ウジエスーパーの取締役・吉田芳弘さん。
震災後は翌日早朝から営業を開催し、多くの人たちのライフラインを支えた。
震災前の3月頭から各店舗の店長一人一人と面談をし「私の仕事シート」を完成させた。
これはウジエスーパーの存在意義「食を通して社会貢献をすること」の理解を深めることに重点を置いた教育研修。
その結果、震災直後の迅速な対応、地域の人々のライフラインを支える意識と行動、この教育研修は本当に成果が出たという。
高校生に講演をしている吉田さんは
「3.11以前には戻らない、これからは新しいカタチを作っていかないといけない」
「地域と共に、復興とともに、地域に根ざした企業のあり方を作っていく」
このようなメッセージを次世代を担う若者たちに伝えていっている。
ある学生が、地域に根ざした地域の貢献を行う理念に感銘を受け、実際大手企業の内定を蹴って、
ウジエスーパーに就職したというエピソードには驚いた。
3人目は登米市の首長、布施孝尚さん。
震災後に各避難所を訪れ、ショックで母乳が出ない多くのお母さんたちを目にし、
その中で「粉ミルク」が極限に足りていない現状を目にした。
その直後に県外から粉ミルクを集め、市内だけではなく沿岸部の各地域に自らの足で4000箱以上もの粉ミルクを届けた。
「市長という立場ではなく、一人の人間として責任感が生まれた」
「避難所は高齢者の福祉などは充実していたが、赤ちゃんたちの手配はまったくなかった」
民間あがりの市長の行動で、多くの赤ちゃんの命を救ったと言っても過言ではない。
次世代の子供たちのために何ができるか、市長は最も大切な子供たちに人と人のつながりで
地域に根ざした町、社会を作っていきたいと最後聞かせてくれた。
復興支援メディア隊・竹節友樹